論理がバニシングポイントに向かって消失していくこと自体が「空」であると言ったのは、大乗仏教が波及していった頃の南インドのバラモン階級出身の天才、ナーガルジュナです。彼は呪術に長け、忍者のように自分の姿を消してしまう隠遁の術ができたといいます。小乗仏教に入り、理論をつかんでいきますが、存在自体にはなれないということを知り、大乗仏教に転向していきます。そして大乗の「空」についての思考を深めていくのです。彼はこのような論理を導いたのです。「私であることはない、私でないこともない、その両者であることもその両者でないこともない」というように言明することによってきれいさっぱりすべての言語的対象が、最後の消滅点にむかってなくなっていく、そんな超越的な論理をつくったのです。自分存在を消滅させたところに、本当の自分があるというような考え方なのでしょう。これを日本では「うつ」といいます。「うつ」は空と書きます。うつつ、うつわ、うつけものなどの言葉は「空」からうまれています。夢うつつとは何も考えていない「空」の状態をいいます。欲のない状態です。うつわは「空輪」と書きます。空の輪、すなわち円のことです。リングのことです。すべてをつつみ、自分の描いた輪の中で考えられる人をうつわの大きい人といいます。平面に描いた円の中心に「ちょん」と印すことによって、円は二次元の形から四次元の形状に変化してしまいます。円の中央にポイントができるだけで宙に浮いた円となるからです。これが禅でいうマルチョンの絵画です。うつけもの、空気者というのは何を考えているか判らない人間のことです。智将と呼ばれた人々は、ある時期うつけものを演じてきました。討ち入り前の大石蔵乃助、天下を取ることを夢見ていた頃の織田信長がそうです。
「空」は原子核の中の中間子の動きによっても現すことができます。水という物質があります。水はH2Oという分子でできています。Hが2つOがひとつの組み合わせでできているのです。H、水素は原子が集合してできています。原子の中には原子核があります。その原子核の囲りには電子が勢いよく回っています。原子核の中には陽子と中性子が、互いの存在を交換しながら循環しているのです。陽子と中性子が夫婦のように仲良く互いの役割を交換しながらリズミカルに動いている時は、物質は活性化しています。その際、大変重要な役割を果たしているのが中間子です。陽子と中性子の中央から仲人のように両者の関係を調整するのが中間子なのです。中間子の動きが良くなると陽子と中性子はリズミカルに動きつづけます。このリズミカルな動きにつられるように原子核の囲りを回っている電子の軌道が極小になるのです。最も近回りをするのです。すると原子核からはバイオフォトンというエネルギーが発せられるようになります。これが細胞に輝きを与えていくのです。人体の場合はオーラとなって発散します。「空」としての中間子の働きが、すべての鍵になって生命は力をつけるのです。このように空の心でいるということは、自分を触媒として見つめる心です。触媒というのはそれ自体は表面化しませんが、それを加えることで物質の状態を一変させる存在のことです。豆腐に入れるニガリも触媒です。名刀をつくる時にかける水も触媒の役割をします。料理でいうと隠し味に入れる塩や調味料のことでもあります。触媒は物質を限定しません。すべての物質は触媒的な使われ方によってはじめて触媒となります。人間は重要な触媒に成り得るのです。ルネッサンスという人間の創造性の素晴らしさを再生したイタリアの文芸復興運動を形にしたのはユマニストと呼ばれた人です。これらの人々が触媒となってヨーロッパ各地を回り情報を伝え、ネットワークをつくり、ルネッサンスは完成したのです。
あらゆる偉大な事業の背後には、偉大な触媒的働きをした人が存在します。触媒なくして事は起こせないのです。この触媒的人物が、「空」の心を持っているかいないかで正否は決まるのです。インドは空の心を導き、中国は無の心の在り方をもたらしました。空とは世の中の動きを天から視る考え方です。無は、地から視る考え方です。無は、すべては土に帰るという思想をベースにしています。この世の中でおこったことは、この世で解決するという意味を持っています。土の中ではすべてが根で結びついていて、それらが地上のすべてをつくりあげているという考え方です。空は宇宙思想でもあります。私達の生体の営みに必要な物質のほとんどは宇宙からやってきます。更に、1分間に3本位、宇宙線ニュートリノが私達の周辺を通りぬけています。空とは宇宙のすべての現象を「光」とする思想なのです。それに対して無は地球上の生命の営みの基盤を水においています。水の大地には生命は芽生えません。水という物質は、固体、液体、気体、と光と熱によってその姿を変え循環しながら地球空間のすべてを構造化しています。無は水です。水はそこにあると思った時から無くなっていきます。形を変えていくのです。一瞬に蒸発したり、固まって水になったりするのが、水が無であるということの証しです。無の思想では、光そのものを空気中の水分として捕らえるのです。インドは宇宙からの光、中国では水としての光を基盤にし哲学を体系化していったのです。魂には3つの要素があるといったのはプラトンです。理性・欲望・気概の3つです。西洋の人々は魂は心臓にあると考えていました。魂を明確な部分として捕らえたのです。東洋の人々は魂は60兆の細胞の中に1つずつあると考えました。魂とは細胞の中の粒子と波動だと考えたのです。まさに光だと考えたのです。それは空を意味します。色即是空の空です。色即是空は光のことを現しています。色は即、空である、というのは光のことです。色は光によって色になります。光のないところには色もないのです。色のあるところというのは常に光があり、そこは空そのものなのです。眼には見えない空としての宇宙からの光である、宇宙線ニュートリノがそこに赤、青、黄の3色を導くのです。物質の極小の世界にも色があるのです。色即是空、空即是色、それは光の循環を現しています。宇宙からの光と、人体からの光の交信を現しているのです。この交信によって魂は再生します。光の循環と交信のない状態では、魂は死んでいます。魂は空の世界、すなわちCymosそのものです。魂は、常に光の世界で再生します。それを魂の再生~ReSOUL~といいます。